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2010年8月31日 (火)

大正12年 関東大震災の真実

ワタシが時々覗かせていただいているブログ、『およよと驚く毎日』に関東大震災について書いていましたので、紹介させていただきます。

大正12年の関東大震災が、現在起きたとしたら・・・・・

ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

ニッポンは終わります。

少々長くなりますが、是非読んでいただきたい内容です。

関東大震災の概要

明日は防災の日。
関東大震災が起こった日です。

関東大震災は三つ子の地震だったそうです。
震源は、神奈川県西部、東京湾北部、山梨県東部の三ヶ所。
いずれも、マグニチュード7を上回る規模だったそうです。

経済損失は現在の貨幣価値で、320兆円だとか。
もしいま起こったら、即、日本は国家破産ですね。

地震のサイクルから考えても、そろそろまた起こってよい時期です。
家具の固定と食料品の備蓄などは、日頃から心がけておいた方がよいかと思います。

==========

http://www.sei-inc.co.jp/bosai/1923/

大正12年 関東大震災

1923年9月1日 AM11:58 M7.9

被害:死者・行方不明者 105,385人
(死者数は 142,807人 とも)
全壊109,713棟,焼失家屋212,353棟
(全壊128,266棟,焼失447,128棟とも)



大正12年 関東大震災 概要

関東大震災を忘れないために毎年9月1日を「防災の日」と定め、各所で防災訓練等が行われるようになりました。

1923年(大正12)9月1日11時58分、相模湾北部を震源とする海溝型の巨大地震が発生。地震そのものの規模は最大級とは言えないが、人口密度の高い地域と、火災により観測史上最大規模の死者14万人(2003年の武村雅之氏の研究では死者10万5千人)、現在の貨幣価値に換算して約320兆円という甚大な被害をもたらした。

地震の主要動が10分間にわたって継続したと言われ、振幅は安政江戸地震よりも大きかった。

震源地は伊豆大島北端にある千ヶ崎の北15km付近の相模湾海底で、激震地域は、伊豆半島を横ぎり、三島から富士山麓を経て甲府盆地に入り、それから東北に進んで熊谷、館林、古河、下館を過ぎ、土浦から房総半島中央を横断して勝浦付近にまで渡るという余りに広大で非常に不規則な円状区域だったために、正確な震央について、少なからず当時から疑問の声があがっていた。

1993年の研究(岐阜測候所から地震の波形データが発見された)によって、関東大震災では11時58分32秒に発生したM7.9の本震から3分後の12時01分にM7.2、5分後の12時03分にM7.3という巨大な揺れが三度発生した「三つ子地震」であることが最新の研究で判明した。

つまり、本震の震央が神奈川県西部、続いて東京湾北部、山梨県東部が三つの地震の震源となった。

被害は東京(当時の人口:都市部250万人、郡部100万人)神奈川、千葉、埼玉、静岡、山梨に及ぶ広大な地域で震度6以上の揺れが発生。震度7の地域は、本震の震央とされる神奈川県小田原~鎌倉にかけての相模平野一帯から横浜、東京、房総半島南部にと広範囲に広がり、20cm以上の強い揺れが1分以上続いたとも伝えられる。

震源とされる断層は、神奈川県西部から小田原、鎌倉、横須賀、横浜、千葉県館山を含む長さ約130km、幅70kmに至り、この断層が平均2.1mのずれを生じたという。

地震の直接被害は震源に近い神奈川の相模湾をのぞむ地域(特に横浜・小田原・国府津・大磯・茅ヶ崎・鎌倉)と房総の千葉(特に那古・船形・北条・館山)が最激震地となり甚大で、沿岸部の木造家屋30%が一瞬で倒壊、震源近くの地域では70%以上の倒壊率だった。

東京東部と横浜・小田原は壊滅的な打撃を受け死者10万人以上、千葉県で1,373人、静岡県で450人、埼玉県で280人の死者を出した。

横須賀では重油タンクが爆発炎上、横浜港の大半は海中に没した。神奈川県西部の根府川で、大規模な山津波が発生し集落170棟が消失し、東海道線根府川駅に停車中の列車も飲み込まれて乗客112人が死亡。

江戸300年の歴史を誇る日本橋魚河岸は、震災で壊滅したため、その後、現在の築地へと魚市場は移転を余儀なくされた。

地震による津波も発生し、静岡県熱海市で12m、千葉県相浜で9.3m、洲崎で8m、神奈川県三浦で6m。鎌倉市由比ケ浜では別荘や海水浴客に津波が押し寄せ300人余が行方不明となった。

地震後には、旧・東京市(人口250万人)の約132ヶ所で一斉に出火、能登半島沖にはこの日、台風が停滞していた影響で、関東地方は折から風速10m/sの強風が吹きあれていたため、火は瞬く間に延焼し9月3日午後14時頃まで類焼し続けた結果、市内総戸数63万8千棟の内、約40万棟が全焼した。

警視庁など多くの中央官庁の本部や役所が火災により全焼。消防や被害への早期対応にあたる行政組織が壊滅的な被害を受けたことや、地震当日は土曜日で、当時の官公庁や企業の多くは正午に業務を終えていたことも被害拡大の一因となった。

本所区(現・墨田区)の2万坪の空き地に約4万人が避難していたが、1日の夕刻に火災旋風(火の竜巻)が襲いほぼ全員が逃げる間もなく焼死。火災のため、9月1日深夜の東京の気温は46度まで上昇するなど、更に5万人の命が一夜で失われた。

余りの混乱で社会不安が増大、「朝鮮人が放火」「井戸に毒を投げ入れた」など流言やデマが飛び交い朝鮮人が群集らに虐殺される痛ましい事件(韓国政府によると虐殺3000~6000人、北朝鮮では2万人虐殺と報道される。

当時の朝鮮総督府の調査では、関東大震災による朝鮮人死者・行方不明者総数は832人、うち司法省調査による朝鮮人虐殺者数は死亡233人、重傷15人、軽症27人、その他、朝鮮人と間違われて殺害された日本人58人、中国人3人とされている)や、亀戸事件や甘粕事件と呼ばれる労働運動や社会主義運動指導者の殺害事件も混乱に紛れて発生した。

関東大震災では火災ばかりがクローズアップされる傾向があるが、被災地域の広大さと、余震も特筆に価する。

2003年の研究によると本震と続けて発生した「三つ子地震」の後にも、午前12時48分に東京湾を震源にM7.1、翌9月2日午前11時46分に千葉県津浦沖でM7.6、午後18時27分に九十九里沖でM7.1と、阪神淡路大震災と同規模のM7の地震が合計6回も発生したことが判明している。

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