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2011年4月 5日 (火)

原子力発電(危険因子)と停電はシーソーと同じって事なのですね

東京の計画停電などなまぬるい! 中国やインドでは停電は当たり前。
停電を当たり前とする生活を容認するか、原子力発電を容認するか?

今回の東日本大震災では、東北地方では広範囲な停電が長く続き、関東地方では計画停電で生活に大きな影響が出ました。

電気が無ければ電車も止まって携帯電話も充電が出来なくなり繋がらなくなります。

東京からは単一の乾電池が無くなり、ガソリンスタンドでは電気が無ければ給油も出来なくなります。

自家発電設備の無い病院などでは命にかかわるような事態になります。

日本でも戦後間もない頃は停電も当たり前でしたが、最近では停電があるとニュースになるくらい停電はありませんでした。

日常生活にコンピューターが常時使用されているような現代社会においては、停電が日常化したようなところでは都市として機能しなくなってしまう。

停電してもバックアップ電源のあるインテリジェントビルは僅かでしょう。

コンピューターセンターのような所では自家発電機や大容量のバッテリー設備がありますが、設置や維持管理には多額の費用がかかります。

工場などでも自家発電機を備えたところは僅かであり、突然の停電があると作りかけの製品がおじゃんになり大損害が出ます。

だから3時間の停電でも操業が出来なくなり休業が余儀なくされるところがあるようです。

戦後間もない頃の停電なら電灯やラジオが消える程度で問題は無かったのですが、現代では停電があると都市としての機能まで麻痺してしまう。

東北地方では未だに水道や下水が復旧しなくて生活に往生していますが、水と電気は生活に無くてはならないものとなっています。

しかし最近の東京では水不足や停電などとは縁がありませんでしたが、計画停電や水道水の放射能汚染などで乾電池やミネラルウォーターの買い溜めが起きた。

さいわい東京23区内は計画停電の実施はありませんでしたが、電車が止まって通勤が出来なくなり大混乱した。

電車が全面的に止まればどうなるかは3月11日に経験したことですが、自宅まで歩いて帰る人で歩道がごったがえした。

一晩中歩いて自宅まで帰った人がたくさんいたようですが、電車通勤まで出来なくなれば東京もおしまいだ。

それくらい現代文明社会では水と電気は無くてはならないものであり、水と電気が確保できなければ現代文明は成り立たない。

日本が近代工業国家になれたのも水と電気が確保できたためであり、それが確保できなければどうなるかを東日本大震災は示してくれた。

水と電気が無ければ石器時代にまで戻ってしまう。

中国やインドが超大国になれるかどうかは水と電力をどれだけ確保できるかにかかっているだろう。

中国やインドも電力の多くを原子力発電で賄おうとしていますが、福島第一原発の大災害はどれだけ影響するだろうか?

ロシアやアメリカや日本で原発の大災害が起きて建設には慎重になっていますが、中国やインドは原発に頼らざるを得ないだろう。

石油や石炭の火力発電だけでは限界があるからだ。

いわゆる新興国ブームで中国やインドが、2050年にはアメリカを追い越す経済大国になるという予測をゴールドマンサックスなどがしていますが、2010年には予測どおり中国が日本を追い越した。

それによれば日本はインドネシアにも追い越されるそうです。

その為にはいろいろな前提条件がありますが、中国もインドも石炭は豊富ですが電力がどれだけ賄えるかが問題だろう。

日本は円が高くなる一方なのに経済は低迷が長く続き、普通は国力の増大と通貨の上昇はリンクするのが常識だ。

このような矛盾は国別で見るから生じるのであり、グローバル化した世界においては国別では円の上昇は日系企業の産業力が円の上昇を支えているのだろう。

グローバル企業は世界各国に生産拠点を持ち、それらの生産高はその国のGDPに反映する。

中国は安い人件費と通貨の安さを武器に先進国からの投資を呼び込んで大成功した。

果たして中国やインドはゴールドマンサックスが予想するような経済大国になれるのだろうか?

「中国の電力事情」や「インドの電力事情」などのブログで紹介したように、中国やインドの電力事情は停電が日常茶飯であり、エネルギーのインフラ事情はなかなか整備されていない。

確かに人口面では中国やインドはアメリカ以上のパワーがありますが、アメリカのように国内に石油や天然ガスのような豊富な資源が存在しない。

日本の経済成長も中東の安い石油が手に入った為であり、最近の経済の低迷はエネルギーの獲得競争で新興国に負けているのが原因なのではないだろうか?

確かに日本の電気料金は高い。

21世紀は、石油の枯渇と原子力発電をどう生かしていくかにかかっていますが、より安全な原子炉の開発がこれからの課題になるだろう。

40年前の原子炉では事故を起こさないのが不思議なくらいだったのですが、老朽化した原子炉の解体技術などの開発も課題になる。

原子力発電に関して賛成と反対とに意見は分かれますが、原子力発電を否定すれば停電は避けられないだろう。

日本には石油も石炭も無いからだ。

しかし中国やインドのように神経質な日本人は停電しても暢気にしていられるだろうか?

(株式日記)

現時点でいえば(あくまでも現時点)、原子力発電(危険因子)を選択すれば、停電はなくなります。

原子力発電(危険因子)を排除すれば、停電は避けられません。

現代の文明社会においては、ある意味 究極の選択 とも言えるのではないのでしょうか。

多少危険を冒しても、今までと同じ電気をふんだんに使った便利な生活を選ぶのか。

それとも、将来の孫子の為に不便があっても危険は排除していくのか。

ワタシ的には後者を選びたいです。

その為にはモノの価値観を変えていく必要があると思っています。

高度成長期に育ち、20代の若い時にバブル期を経験しているワタシ達の世代ってのは、ある意味モノ(物)に恵まれた時代でした。

そういった物を追求する価値観から、精神(心)を追及する感じに変えていくとでも言いましょうかね。

ワタシにとって、3年ほど前に酒井雄哉大阿闍梨と出会った事は,ワタシにとってラッキーだったと思いますね。

酒井雄哉大阿闍梨に出会う前までは、けっこう物欲派でした。

買えると思ったら買ってしまう。

「モノが全て」に近い感覚とでも言いましょうかね。

それが酒井雄哉大阿闍梨と出会う機会に恵まれ、何度かお話させていただいているうち、物欲はずいぶんとなくなりました。

現在、ワタシは『何事をするのも行』といった感じで捉えています。

物欲を我慢するのも行。

毎日、不動明王真言と般若心経を唱えるのも行。

そんな感じで生活すると、以前よりは気持ちは楽になるものです。

話がそれましたが、「価値観を変えていく」事が出来れば、将来の孫子の為に不便があっても危険は排除していく考えに達する事が出来るのかもしれませんね。

私もそうなれるよう、行に精進しましょうか・・・・・

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