« ニッポン暗黒時代 | トップページ | なぜか上海 »

2011年12月21日 (水)

地震が小さすぎた・・・か

「地震が小さすぎた」

 とあるパネルディスカッションでのパネラーのご発言。室内の一部からは失笑が漏れた。
 私は笑えなかった。それがほんとうのことだと思ったからだ。

 3月11日の東日本大震災は死者・行方不明者があわせて約2万人に達しているし、現在も33万以上の方が避難・転居を余儀なくされている。地震直後に起きた福島第一原発の事故については、敢えて述べる必要もないだろう。
 この国は、大きな犠牲を払った。にも関わらず、この国は、変わることが出来なかった。

 私Parsleyは地震直後にも様々な大臣会見や、政府・東京電力統合対策室共同会見などに出席してきた。
 だが、そこにあるのは「日常」だった。官僚・職員の皆様は会見をつつがなく進行するために資料を配ったり大臣の入り時間を気にしたり、記者の皆様は記事を書くために会見の内容を社内に伝えるのにキーボードを打ち続け、大臣は閣議の内容と管轄の業務について淡々と報告し、質問に対して多くの場合は冷静に、時には気色ばんで答えた。
 大臣が去ると、どこからともなく談笑が聞こえる。そこから数百キロ先で起こっていることが想像できないくらい、「いつも通り」の「日常」がそこにはあった。

 政府・東電の統合会見の初日には、記者クラブの記者からも、フリーランスからも、会見のあり方に対する質問が続出した。それはそれでもちろん議論されるべきことだったと思う。だが、被災地や現地のことを考えると。何かを押して優先されるべきことだったのだろうか?
 その統合会見も16日に「冷温停止状態」になったのに併せて終了となった。聞けば、大手マスコミの依頼という。それぞれ東電、原子力安全保安院の会見は元のように別々で行われるようになる。どちらもフリーの記者でも「マスコミとしての活動をしている証明があれば」参加できる。

****中略****

 ある意味、この天災は、この国の意志決定のシステムを組み替えるチャンスだった。
 だけど、残念なことに政治家の皆様にはその力はなく、また新しいシステムを提言出来るだけの「知恵」が民間にあるわけでもなかった。少なくとも表出はしなかった

****中略****

 識者の中には「3.11」以前と以後で、世界が変わってしまったかのような前提のもの論考をしている方も沢山いらっしゃるけれど、その「ターニングポイント」が大きく扱われる程に、実際に日本社会に与えた影響の「小ささ」がフレームアップされるかのような気がしてならない。

 あーあ。どうしたらこの国変わるのかな?

 その問いに、私Parsleyは一つの可能性を提示することが出来る。
 欧州金融危機が破綻を迎え、影響がアメリカに波及し、中国のバブルが弾け、それが合わさった大波が、日本列島を呑み込もうとする時、だ。

(BLOGOS ふじいりょう)

ワタシも今回の大震災、原子力発電所の事故によって、日本国が持っている本当のポテンシャルがわかると思っていたのですよね。

その結果は現在を見れば明らか。

97655 ニッポン国家を動かす者達の無能さがはっきりしてしまいました。

いわゆる国会議員と呼ばれる人達の無能さがここまで表に出てくると、逆に笑っちゃいますわ。

結局のところ国政に上がっている人達は、ウマシカ集団。

与党も野党もミナ同じ。

弁護士で元素人の人に国政をかき回されてるようじゃぁ、ニッポンに明るい未来はないわな。

« ニッポン暗黒時代 | トップページ | なぜか上海 »

独り言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/531368/53533887

この記事へのトラックバック一覧です: 地震が小さすぎた・・・か:

« ニッポン暗黒時代 | トップページ | なぜか上海 »